先日、夢をみました。

子供の頃から夢をよくみる性質なのですが、ここのところ目覚めるまではっきり覚えているような夢はみていませんでした。

慌てて走って追いかけるシーンで終わったので腰が抜けたような感覚が残り、より印象的だったのかもしれませんね。

なかなかリアルな夢だったので、夢辞典なるものを検索して調べてみました。

なるほど、吉夢になるし、良くない夢にも捉えられる。

調べる前から私は心の中で「これはいい夢だな、きっと」と思い込んでいるので一旦は調べてみるのですが、結局、自分が納得するのは自分自身が既に心に決めていることだったりするわけです。

緑と花のアーチ

 

ものごとを何でも良い方に解釈する私の性格にもよりますが、基本的にあまり悪いことは考えません。

「こうなったらどうしよう」というよりは「こうなったらいいな」を常に考えていることが多いです。

親の教育方針で、幼い頃から自分で何事も選択してその選択に自身で責任を持つことを促されてきているせいでしょうか。

「やってもた・・・」という痛い思いもそれこそ数え切れない星の数ほどありますが、そこに「自分が選択してやったこと」という思いが常にあるので落とし前をつけるのも自分という意識がやはり共にあります。

私の話はさておき、ものごとの考え方や感じ方も、おそらく「自分で決めた」と思うことがとても大切なのではないでしょうか。

環境や人のせいではなく、自分にそれを決めた責任があると感じていればたいていのことを克服していけるような気がします。

そのために必要な変化を自ら考えて生み出し、また行動していけるからでしょう。

どんな物事であっても、それらに対し自分が特別で大切な意味を与えればそれはもう唯一無二の貴重なものになるのだと思います。

庭に転がる無数の石ころでさえ、そこに価値を与えれば何にも変えられない高価な宝石になる。

他人の目にどう映ろうと、また他人が何を言おうと、それはまったく関係ありません。

大切だと思うことを決めた、その選択がすべてなのだと思います。

「これは良い夢だ」と他でもない私自身が「良い夢」と決めているのですから私はその夢の暗示を「良い夢」となるように行動する。

「今日は素敵な一日」とあなたが決めたのなら、決めたのは他の誰でもなくあなた自身だから「今日一日を素敵」にするよう行動すればよいのだと思います。

この積み重ねが少しずつ人生や運命を変えていくのではないかなと個人的には考えています。

ちなみに、私のみた夢は我が家の裏庭で何人かの若者たちが柿の木から柿をとっている夢でした。

用意されている大きなコンテナに不釣り合いなくらい3つ4つ数えるくらいの柿を入れているのを見た私が「人の家の庭で何をしているの?」と問うています。心の中では 「大きなコンテナにこればかりの柿を・・」 と呆れ、「何も言わずにこれらを持たせて帰らせよう」とも思っていました。

不思議と嫌な感覚はまったくありませんでした。

それでも不用心だからと、家じゅうの鍵をしめて歩きふっとキッチンから窓の外を見ると、今度は彼らが我が家の乗用車に乗り込みはしゃいでおり、そのままぶーんと運転して走り去っていってしまいます。

慌ててサンダルを履き、走って追いかけていく夢だったわけですが・・。

これらの夢の解釈は先述の通り吉夢でもあり、警告でもあるようです。

けれども私自身、嫌な感じがまるでせず「みた現象とは逆で、何か新しく良いものごとが入ってくる暗示なのではないかな」と思っていたので、やはりそれで良いような気がします。

私の運命は他の誰でもない私が決める。

”物事は思いよう” とは、まさにこういうことなのかもしれませんね。

でも、実はすごく大事なことだと思っています。

 

投稿者プロフィール

小松万佐子
小松万佐子こまつまさこ心理相談室(安曇野ルーム)心理カウンセラー
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