言葉を使って互いを知る
とても大切なことだと思います。
嫌悪を抱いたり
腹をたてたり
ふて腐れたりして
口をつぐんでしまうこと。
家族のような身近な存在
夫婦、親子間では余計に
よく見られる光景かもしれません。
もちろん、言葉で互いを
理解し合うことも
大切ですが
本音を伝えることが
相手を傷つける場合や
それとなく伝えてきた
あるいはハッキリと
伝えたけれど
繰り返し止まない
自分がされて嫌だということ。
こうしたケースには
少し距離を置き
その開いた距離から
何かを感じ取ってもらう
ということも
ときにはありなのかなと
個人的には考えています。
夫婦間や恋人同士で
よく聞かれる
「察してよ!」という言葉。
言葉にしないとわかりません。
言葉にして伝えてみましょうと
言ったところで
受け止める側は
実のところ言葉で説明しても
すぐには理解や
納得できないことも多いです。
それはそれぞれの価値観や
考え方、感じ方
またこれまでの環境が
異なることが
大きく関わっているので
誰が合っているとか
間違っているとかの問題でなく
ただ受け止め考える時間が
必要なのかもしれません。
どんなことでも
”本人が自分で気づく”
ということでしか
変わらないことは多いです。
他者を無理やり変えようとせず
それまでの距離間を
少し変えることで
気づきの機会を設けること。
言葉で理解しあうことに
交えて大事なときも
あるのかもしれませんね。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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