”沈黙を通して自然と対話、交流する”
数か月前までは
葉が生い茂るだけだった枝に
橙色に色づいた柿の実が
ついた様子を眺めて
ふと思いました。
緑の葉だけをつけたこの木を
下から眺めた
数か月前の自分とは
当然ながら違っています。
今この瞬間の自分が
誰が何を言おうとも
わずながらでも
成長している実感を
とても好ましく感じ
すべてを受け入れられる。
そんな気持ちがしてきます。
庭先でも、公園でも
あるいは
通勤路の街路樹や
他人様のお宅の花畑であっても
毎日とは言わずとも
習慣的に自然を眺めていると
そこに生じる循環、生命の巡りを
つぶさに感じ取ることができ
無意識ながらも学びを
得ていることに気づきます。
自然は言葉を話しません。
だから、静かに
「ただ、感じる」ことで
対話をし交流するのだと思います。
そっと目を閉じたり
直接五感を通して繋がる
時間の中で
何かしらを
身体や心に感じたとき
私たちは感動します。
私は言葉を大切にしたい類の
人間ですが
それの及ばない世界が
あることも
わかっているように思います。
言葉では誤魔化しのきかない
「真実」そのものを
自然の中に見つけるとき
大切な気づきや学びを
いただいた気がして
自分の及ばない力に対し
より謙虚な気持ちで
感謝を覚えるようになります。
柿の実が色づいて収穫の時期を
迎えている。
こんな何でもないことの中に
多くの気づきをもらって
自分自身を振り返る
時間があることそのものが
ありがたいなって感じる
秋晴れの朝でした。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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